人からお礼を言われないような良いことをする

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人はうまくいった時や良いことをした時に、他人から褒めてもらうと嬉しいものですね。
子供は、両親から、学校の先生から、近所の人から褒められるとそれが嬉しくて、また褒められようと前向きに良いことをしようと頑張ります。
逆にしかられると後ろ向きになり、他人から見られないように、言われないように、人との接触をさけ、見えないところでの行動をするようになっていくのかもしれません。
私も今でも両親から褒めてもらったり、妻から良い仕事をしていると認めてもらったり、自分の子供から尊敬の念を持ってもらえると嬉しく思います。
なぜでしょう。その言葉で、自分の存在の意味や価値というのを認識できるからでしょか。
人は他人から認めてもらうと嬉しいものなのですね。
そして、人から喜んでもらえると。


最近、富士和教会の福岡支部の井内様から教わったことで、意識がガタンと変わったことがあります。

それはこの言葉から始まりました。
『人からお礼を言われたら、それで、終わりですから、人からお礼を言われないような良いことをしましょう』

(少し言葉が違うかもしれませんが)

『人が見ていないところで、良いことをする。陰ながら人のためになるようなことをする。特定の人だけではなく世の中のために良いことをする、喜ばれることをする。
そして、これらは見返りを求めない心で。』

『そのようにすれば、人からはお礼を言ってもらえないし、見返りももらえません。
しかし、その分、神様が見ていてくれて何倍にもしてご褒美をくれます。
そのような心掛けを大切にしてください。』
(これは、ボランティアなどではなく、どちらかというと身近な人たちのためにすることに関して)

『人は、他人にしたことは必ず自分もされるというバランスの上に世の中は成り立っています。良いことでも、悪いことでも、必ず形は変わっても自分に戻ってきます。そして、そのバランスを取っているのが神様です。』

『人からお礼を言われたら、その人に良いことをしたことはそこで終わりとなってしまいます。しかし、人知れずにしたことは誰からもお礼を言われません。その分、神様がその人の行ったことと気持ちを汲んでご褒美をくれます。』

教えていただいた言葉、文章は、正確なものではないかもしれませんが、内容的にはこのようなことを教えていただきました。

冒頭にも書いたように、私も含めて皆他人から褒められたり、お礼を言われたりすると嬉しく、気持ちいいものです。
その気持ち良さが、また良いことをしようと思わせます。
人知れず良いことをしていても、誰かが見ていてくれて、あの人は良い人だと言って欲しいと思う気持ちはあります。
しかし、自分の心の中だけにしかない自分がした良い行いは、外に出さずにしまっておくと何か良いものに変わっていくのでしょう。

今回の私のガタンという意識の変化は、
「今まで誰かに認めてもらいたい、誰かにわかってもらいたい、褒めてもらいたいと思っていた自分が、この考えを持たなくても安心していられるのだとわかったことです。」
今までも多くの偉い方々が言われているようなことで、理屈ではなんとなく理解していたのですが、今回、井内様から教えていただいた時、自分の中で何か変化が起こったようです。

もし、人知れず良いことをした時、自分で他人にあえてそれをしゃべる必要もなく、こんな良いことをしたのだから他人に良い人だなと思って欲しいと考える必要もなく、自然の流れの中で無理なく自分が他人のためになること、喜ばれることを陰ながら進んでできるようになれるような気がしました。

多くのことを富士和教会で教えていただいていますが、私は、私生活でも事業でも『考え方』を大切にしていけば、事はうまく進むのだなと実感しております。

来週からまた新しい社員の方が入ってきてくれます。素晴らしい方々です。
来週からは事業展開も大きく拡張していこうと思っていた中、Goodタイミングで本当に嬉しく思っています。

これも重要な教えとして心掛けていることですが、
「顧客満足を大切にする。それ以上に従業員満足を大切にする。」
まだまだ、満足してもらう閾値には程遠いのかもしれませんが、従業員満足があって初めて、従業員の方々が顧客を満足させることができるのだと思います。
来週は、2泊3日で会社旅行があります、皆で楽しんできます。

※井内さんのブログです。最近始められたようです。まるで小説家が書いたように毎日読みたくなるようなブログですが、これはドキュメンタリーブログです。
一度、最初から読んでみてください。
富士和教会 福岡支部長 井内由佳のブログ