人からお願いされること、よろこばれることは、いいことです

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約3ヶ月ぶりのブログとなってしまいました。
この3ヶ月は、長く、いろいろありましたが充実し、変化のあった3ヶ月間でした。妻の2ヶ月間の入退生活から退院して子供たちも喜んでいます。
会社の事業の方向性も3年目に入ってやっと見えてきたようで、これから益々新しいことにチャレンジしやすい環境が整ってきました。
ただ、労働時間・仕事内容は、社員も含め過酷な状況は変わらず、当面は続きそうです。忙しさの緩和のために、近いうちには新しい仲間も増えそうですが。

今週の水曜日は佐賀大学での講義を頼まれ、『ネットワーク社会と技術』という講座の一つを担当させていただきました。
80名ぐらいの学生さんの前で話しました。そこはPCルームとなっており、100台ぐらいのPCがずらりと並び、学生全員がPCを扱えるようになっています。
テレビ会議システムに関連したIT技術を中心に講義したのですが、26年前の私の学生の時の写真なども見せながら、今と一世代前の学生生活のギャップを感じてもらうようにしました。
IT技術が無かった時代は、インターネット検索も無く、雑誌や辞典で写真を見ることぐらいしかできなかったので、昔の学生たちは自分たちが積極的に外へと動き、海外に行ったり、知らない場所にぶっつけ本番状態で行ったものだったと思います。
今でも旅など積極的に行動を起こしている学生さんもいるのでしょうが、今回の講演中は残念ながら目をぎらぎらした学生さんはいなかったように感じました。
最近は新米起業家として講演などを依頼されることもあるのですが、殆どがボランティア的なものです。
しかし、頼まれると大変だなと思うと同時に嬉しい気持ちにもなります。
そして、『講演、良かったです』と喜んでいただけるともっと嬉しい気持ちになります。
ただ、その講演を聞く聴講者の方々は、殆どが演者の苦労などはわかろうとはしないものですよね。
自分も今まで多くの講演を聞いてきましたが、演者がどれだけの時間をかけて準備し練習し聴講者のことを考えているかは、あまり気にしていませんでした。まあ、それが当たり前なんでしょうが。
しかし、それが当たり前なんていうことになると、学校で授業をしてくれていた先生方に対して、本当に申し訳なかったと今更ながら思うわけです。
小学校、中学校は無理でしょうが、高校生ぐらいになれば分別が付く年なので、毎回の授業が終わったら先生に対して『今日の授業は面白かったです。良かったです。』なんていえるようになれば、先生も教え甲斐がでてくるでしょうね。
今の日本に、お互いを思いやる気持ちや感謝の気持ちがもっと深く広く広がれば、このような高校生も自然に出てくるのでしょう。
良いことを教える人が増えれば、良い人が育つと思います。
そこには、ギブアンドテイクは無くても(人からしてもらったことを忘れないことが理想ですが)、その良いことが、次々と人を通して繋がっていっていけばよいのでしょう。
子育て、次世代の若者を育てることに力を入れることができる社会になれば、夢をいっぱい持った人たちがもっと増えるでしょうね。