2006.2.26 性善説と性悪説

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前の会社に勤めていた時のことで、新しく赴任してこられた所長を車に乗せ出かけた時に『自分は性悪説でものを考えている』と教えていただいた。
それまでは性善説も性悪説も特には考えたこともなかったが、それを聞いた時自分は絶対に性善説でものを考えたいと思ったのを今でも覚えている。

去年会社を立ち上げ数名の方々に社員として入っていただき、やりがいがあり、楽しく仕事を出来る環境を一番に考えた頑張ってきた。
しかし、立ち上げの大変な時期でもあったことやコミュニケーションが上手く取れなかったせいもあり、一人の社員の方が辞められた。

それから、自分の考え方がが、性善説から性悪説に変わりつつあるように思われる。
車の中で所長から聞いた性悪説という言葉が、今になり理解でき、その様に考えざるを得ないような気がしてきている。

人が人を裏切る時は、それまでの約束事など何も関係なく離れていくもので、自分にも大きな理由があるだろうが、筋を通すことはなくあっという間にいなくなるものだと感じている。
そして、きっと自分も知らないうちに同じことをしてきているのだろう。

本能的には、性悪説を唱えつつも、希望と理性的には、性善説を唱えていきたい。

明日からは今まで以上に社員とともに自主性を重んじて、『任せる』をキーワードに頑張っていこうかと心の整理をしてみた。