良いこと、悪いことのどちらかならば、良いことを選びたい

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先週からまた東京出張にきている、今週、最後は北海道経由で佐賀に帰る予定。年内は全国行脚になりそうだ。
最近は電車などで小さな子供を見ると、自分の子供たちが側にいないのが特にさびしく感じてきた。
子供と一緒にいられるのも十年ちょっと、すぐに親離れしてしまって相手にもしてくれなくなるのだろう、だから、今の内ちょっとでも一緒にいたいと思う。

一昨日も祖父の施設に顔を出してきた。
いつものように認知障害がひどくなった祖父の話に合わせて話を聞いた。
途中でいつものように家に電話して曾孫の声を聞かせるようにするが、一昨日の祖父はよく会話ができて満足のようだった。
他の皆は祖父の会話を現実に引き戻そうとするが、私は祖父の話す内容に相槌を打ち合わせている。どちらがいいのか解らないが、それの方が話が盛り上がるから。

今回の訪問で感じたことに、
人は自分の頭に残った昔の印象的だった出来事を思い出し反芻し懐かしがったり辛さを思い出したりするが、人は、やはり楽しかったことよりも、辛かったり、やりきれなかったことの方が思い出しやすいのだろうか。
祖父も最近昔のちょっとした辛い思い出を話すことが多くなった。
私や自分の子供との楽しかった思い出などはあまり語ろうとはしない。
やはり辛い思い出は、楽しかったことに比べ印象的なのだろうか。
それとも、辛かった出来事を反芻して誰かに話すことで少しでも薄めようとしているのだろうか。
私の父もたまに『昨晩、昔の辛かった仕事の時の夢を見たよ』ということがある。
同じ製薬会社の営業マンをやっていた私はその気持ちはわからないこともないが。
また、もうひとつの考え方としては、人は良い思い出に関してはあまり人に言わないで、自分の頭の中で楽しみながら反芻しているのだろうか、祖父も含めて。
確かに一人でいる時の祖父は『チントンシャン、・・・』と昔の芸者遊びの時の音楽だろうか、一人で歌っていることが多い。
私もいつか年をとり長生きをして、認知障害になったならば、若かった時の辛い思い出を見舞いに来てくれた孫達に淡々と話すのかとふと考える。「それは、いやだな!」
できれば、一つでも多くの役に立つことを孫達に伝え、役に立ててもらいたい。それか、最低でも子供が小さかった時のビデオでも見て、愚痴を言わずに楽しんでいたい。
だが、それが無意識にできるかどうか、それが問題だけども。

もうひとつ同じようなことに、大切なことが何か見えてきた。
人は、他人のことを考えるとき、その人の良いところより、悪いところの方を強く先に思い出してしまうこと。
人の粗や失敗などをイメージ思い出すことの方が、人の成功や良い所を頭に思い浮かべる時より、自分も含めて多いようだ。
しかし、これは自分で意識すると変わるような気がする。
絶対に人の粗を探さない、人の良い所だけを見てあげる。
そして、褒めて、やる気にさせてあげる。
悪いところがあっても怒らない、やさしく注意する。
人を認めて信じてあげる。
こんなことを常に心しておけば、自分の心もいやな考えで一杯になることもないし、人も辛い思いをしなくてすむだろう。

やはり、感謝と和合の心がけということになるのだな。
人は悪い所に引っ張られやすく、ネガティブな考えの方にも行きやすいのかもしれない。
そこに、自分の意識とエネルギーを入れ込むことでポジティブになれる、落ちないで登っていこう。

また、今週もいろいろなことが起こり、いろいろな方に会い、多くの仕事をこなしていくことになるだろう。
これからは、最初に、家族に感謝し良い所を見てあげよう。
そして、社員の皆に感謝して、皆の良い所、成功例などをおもいっきり褒めてあげられるようにしよう。
最後に自分のよい所もちょっと探してみようかな。

P.S.昨日、一昨日と鎌倉の富士和教会で勉強させていただいた。半日いさせていただくだけで、ちょっとしたことでも、大変大切なことを学ばせていただくことができた。
ちょっとした考え方、心がけをちゃんと心していけるかどうか、ほんの少しの違いが大きな結果の違いになるのだなとわかった。